前回の記事には京阪中書島駅近辺の事を書きましたが、その中書島から
3駅乗った橋本という駅に移動しました。
購読している日本経済新聞のThe STYLEという日曜版に下記の記事が載っていて
興味を持ちました。
京阪橋本駅
降りた乗客は高校生がほとんど。(午後2時頃)
普通のみ停車する駅で、電車が行ってしまった後は誰もいなくてひっそり。
この駅には20代の頃、一度だけ利用した事があります。
高校時代からの友達が
「どうせ彼氏もいないし暇なお正月でしょ?一緒に遊ぼう。」と
彼女の会社の同期の家に来いと言ってきたのです。
お邪魔するお宅の人は全くの初対面。でも友達の友達だから気が合いました
正月早々、女3人で鍋をつつく事に。伺ったお宅がここ橋本でした。
京都に生まれ育っていながら、この橋本が遊郭の街だったとは全く知らず。
そう言われれば、元そういう場所だったのかなと思わせる住宅がいくつも。
全く人が歩いておらず、子供の声もしないのが、余計に怪しげな雰囲気を
醸し出していました。
目指す橋本の香はすぐに見つかりました。
インターホンもなく、戸を開けて中に入るも誰もいらっしゃらず。
予約した時間より少し早く到着していました。
受付カウンターのような場所に御用の方はこちらへと予約した時と同じ
携帯電話番号が書かれていたので電話
「今、別の人を案内しているので、ちょっと待ってください。」とのこと。
この部屋のステンドグラスがとても素敵でした。
天井を通ってる木は継ぎ足される事なく丸々1本そのまま。
「何の木ですか?」と質問するもわからないと
こちらは店の主人の部屋
壁一面が箪笥?
玄関上がってすぐの場所に金庫が。
(玄関の写真の鶴の裏手です)
欄間も細かい仕事。
写っているのはこちらの経営者の政倉さん。
暑い日だったので、マスクずらして説明してくれてました
透明のガラスから見えているお庭はこんな感じです
今回の帰省の最後には、これまた高校時代の部活の友達と餘部鉄橋へ1泊旅行
したのですが(既に記事にしています)、その時に橋本の話をすると橋本がある
八幡市に住む友達が1人いて
「中学の時、「”あの通りより向こうに住んでいる子達とは遊んではいけない。”と
親から言われていた。」と言う橋本辺りから通うクラスメートがいた。」と。
遊郭廃止からもう何十年も経っていたというのに。
遊郭があった一帯は淀川のすぐそば。
私が橋本駅で一緒に降りた乗客はほぼ皆、川の方へは行かず、線路より山側へ。
線路を超えて川側に行ったのは私のみでした。
お正月に遊びに行ったという友達(の同期)のお家も山側だったかと。
一度だけの来た橋本の思い出は、今回来た場所とは全く違っていて驚きました。
橋本の香に向かう途中に誰も歩いておらず、子供の遊ぶ声もしないと違和感を
感じたのは、やはりその歴史と関連するのかなと。
引き続き、地元は遊郭の歴史を示す遺産をどうするか悩み続けるのでしょうね。
高層マンションが建つ予定なのか、マンション建設反対のビラがあちこちに
貼ってありました。
伺った建物はとても美しく保存して下さってよかったとは思うけれど
(それもよそ者の勝手な言い分かもしれません)キレイ映えるで
終わらせず、そのつらい歴史も一緒に考えてみるべきかなと思いました。